soramati.txt

No.63

文章に内蔵を掴まれてぐちゃぐちゃにされたい、という欲求があり、そうとう文字中毒らしいということに気がついた。

事の発端は先日の旅行でごはんを食べてる時の話。
追加で何頼むかを悩んでるはずが、気がついたらメニューを握りしめて酒を飲んでたので「わたし文字をつまみに酒が飲めるな…………」などとほざいたら、どうも周りから見てもずっと文字見てるらしいという事を教えてもらった。え、次のおつまみ来るまで卓上の七味の成分表見たりしないんですか?そうですか…………。

以降自分の視線がずーっと文字を追ってるらしいという無意識に気づいた。気づいてしまった。知らない店の看板。電車の中吊り広告。パチンコ屋のポスターに書いてある新台入荷の日なんてどうでもいいのに日付が目に入って「明日だな」と考えたりする。何してるんだ?近くに文字がないとTwitterを開くらしいという気づきもあった。

そんなこんなで文字を見る自分に気がついたうえで小説を読み始めたところ、自分は洗練された文章を見るとテンションがあがり、それに伴い発生する食道の熱さやらなんやらに飢えているらしい気がしてきた。
故に元気でないと本が読めない。そんな気がしてきた。 
全部気のせいで科学的根拠はゼロですが、思い当たる節はまあまあある。こわい。

思えば本は好きだが装丁が好きなのと本文が好きな気持ちは別物なのも、こういう理由かもしれない。
あと自分の小説における感情の描写で内臓の動きを書きがちではありませんか?つまりそういうことかも。

ちょっと大発見かもしれない。つまりわたしが読みたいのは内蔵をつかんでぐちゃぐちゃにする文章で、そういうものになりたい。胃に聞きながら本を読み文を書くしかない。原稿めっちゃたのしい!!!!!

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